園長のひとりごと
2021年3月のひとりごと
園長ブログ(最終のひとりごと)
今回が最終の園長ブログ(園長のひとりごと)になります。2015年(平成27年)10月に1回目のブログをスタートし、月に1回のアップを積み重ねて今回で66回になりました。歩き遍路や旅行などのプライベートなことでのひとりごとが多くなってしまったことを反省しています。
当施設や赤十字関係のブログとしては、「日本赤十字社常任理事会当施設視察」、「全国赤十字病院スポーツ大会」、「当施設の入所サービスおよび通所サービス」、「熊本地震の医療救護活動」、「西日本肢体不自由児施設運営協議会」、「重症心身障害とは」、「日本赤十字社中国・四国各県支部合同災害訓練」、「日本赤十字社徳島県支部創立130周年記念赤十字大会」、「障がい者虐待防止への対応」などをアップしました。
私の外来診療と関係したものとしては、「心身症」、「不登校」、「受動喫煙防止」、「子どもとメディア」、「学校保健委員会」、「生活習慣病予防」、「子どもの肥満」、「熱中症」、「学校の給食指導」、「摂食障害」、「スポーツのススメ」、「学校心電図検診」、「子どもの心臓病」、「愛着障害」、「心的外傷後ストレス障害」、「子どものスポーツの原則」、「新型コロナウイルス感染症の子どもへの影響」、「適応指導教室」、「子どものCOVID-19」などをアップしました。
このうち、学校の給食指導のブログをNHK徳島放送局の記者の方が見てくださり、ローカルニュースの中で取り上げていただきました。そのあと、NHKニュースおはよう日本でも全国放送をしていただきました。
四国88か所歩き遍路は、2016年3月に、土佐路(修行の道場)の第37番札所岩本寺から始まり、伊予路(菩薩の道場)を経て、2020年11月に、讃岐路(涅槃の道場)第82番札所根来寺までを打ち、ブログしました。残りは2泊3日で第88番札所大窪寺までを打つと、いよいよ結願(けちがん)する予定です。ブログを見ていただいた、四国88か所お遍路に興味のある方からは時々お声掛けをいただきました。
旅行については、東北旅行(奥入瀬渓流・青森県立美術館・浅虫温泉など)、九州旅行(熊本城・天草・阿蘇・黒川温泉・湯布院など)、富士・箱根・伊豆旅行、出張日記、下呂温泉・飛騨高山・白川郷・山中温泉・東尋坊旅行、日の峰登山などをアップしました。
その他のブログとしては、男女共同参加、職員のメンタルヘルス、月曜日のルーチンワーク、ほほえむちから、阪田先生との別れ、社会保険支払基金審査委員会、性的マイノリティー、学生ボランティア、健やか親子21全国大会、私の研修医時代、ネクタイの話、青春の詩、ジャズトレインなどをアップしました。
私の外来を受診する中高生の中でブログを見ている子が何人かいて、診察中に話題になることもありました。
長い間、拙い文章の園長ブログ(園長のひとりごと)を見ていただいた方には心からお礼を申し上げます。大変ありがとうございました。
※「打つ」という言葉はお遍路さん用語で札所を参拝するという意味になります。かつて木製の札を本堂や大師堂の柱に打ち付けたことに由来しています。
2021年2月のひとりごと
小児の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)
2021年1月のひとりごと
謹賀新年
2020年12月のひとりごと
讃岐歩き遍路日記3
2020年11月のひとりごと
適応指導教室(教育支援センター)
2020年10月のひとりごと
讃岐歩き遍路日記 2
2020年9月のひとりごと
新型コロナウイルス感染対策の子どもへの影響
2020年8月のひとりごと
子どもの権利とスポーツの原則
2020年7月のひとりごと
月曜日のルーチンワーク2020
2020年6月のひとりごと
日峰山登山
2020年5月のひとりごと
子どもの心的外傷後ストレス障害(PTSD)
2020年4月のひとりごと
讃岐歩き遍路日記1
2020年3月のひとりごと
2020年2月のひとりごと
伊予歩き遍路日記6
2020年1月のひとりごと
謹賀新年
2019年12月のひとりごと
ジャズトレイン
2019年11月のひとりごと
障がい者の虐待防止への対応
2019年10月のひとりごと
こどもの心臓病について
2019年9月のひとりごと
夏休み旅行日記
2019年8月のひとりごと
学校心臓検診
2019年7月のひとりごと
4泊5日の出張日記
2019年6月のひとりごと
伊予歩き遍路日記5
2019年5月のひとりごと
青春の詩
2019年4月のひとりごと
伊予歩き遍路日記4
<2019年3月23日(土)曇り時々晴れ>
<2019年3月24日(日)晴れ時々曇り>
2019年3月のひとりごと
スポーツのオススメ
2019年2月のひとりごと
健やか親子21全国大会
2019年1月のひとりごと
謹賀新年
2018年12月のひとりごと
伊予歩き遍路日記3
2018年11月のひとりごと
富士・箱根・伊豆旅行
2018年10月のひとりごと
2018年9月のひとりごと
学校の給食指導
2018年8月のひとりごと
熱中症について
2018年7月のひとりごと
ネクタイの話
2018年6月のひとりごと
伊予歩き遍路日記2
13:00にJR宇和島駅から歩き始めた。天気も良く,気温も丁度良くて,気持ち良く第41番龍光寺までの10kmを2時間半かけて歩いた。
第41番札所龍光寺
三間(みま)盆地を見下ろす標高190mの山の中腹にある。仁王門はなく石の鳥居が山門になっている。その先に長い参道が伸び,石段を上っていくと赤い鳥居が立つ。左手に本堂があり,右手に大師堂がある。赤い鳥居は稲荷神社のもので,それは本堂と大師堂より高い位置にある。地元の人には龍光寺というより「三間のお稲荷さん」として親しまれている。
参拝を終え,まだ16:00前だったので龍光寺から30分ほど歩いて成妙(なるたえ)小学校まで進んだ。ここにタクシーを呼んで,本日宿泊する宇和島にあるシティーホテルまで送ってもらった。シティーホテルは宇和島真珠会館の2階にあり、食事は隣にあるハイウエイレストランで頂いた。鯛のかぶと煮が美味しかった。食事の後で女将さんから伊予晩柑のお接待を受けた。
歩き遍路34日目:JR宇和島駅から三間町まで11km, 20,500歩
朝は気温が9度であり肌寒く,部屋に暖房を入れた。しかし予報では昼間に気温は26度まで上がるようだ。朝8:30に昨日歩き終えた成妙小学校を出発した。30分歩くと第42番札所仏木寺に到着した。
第42番札所仏木寺
本尊が大日如来であることから,地元の人から「大日さま」と親しまれている。山門をくぐり石段を少し上がると,正面に鐘楼と納経所があり,左手の石段を上った一番奥に本堂と大師堂が並ぶ。鐘楼は四国霊場で唯一の茅葺屋根であり,風情を漂わせている。
9:15に仏木寺を出発し,10.5km先の第43番札所明石寺に向かった。途中で標高480mの歯長峠を越えたが,結構きつかった。明石寺の少し手前の山道に「お遍路に昨日も今日も南風」と詠んだ漱石の句碑が立っており,歩き遍路の私たちには力を頂いた。14:15に明石寺に到着した。
第43番札所明石寺
標高300mの高さにある明石寺の境内は杉や松の老木をはじめ自然林が生い茂り,荘厳な雰囲気に包まれていた。石段を上り仁王門をくぐり,さらに石段を上った正面に本堂がある。右手に大師堂があり,すぐそばに「夫婦杉」と呼ばれる杉の巨木がそびえていた。現在の寺名は「めいせきじ」であるが,もともとは「あげいしじ」と呼ばれていたそうだ。
明石寺から山を下ってきた所にある卯之町(うのまち)に出た。江戸中期から昭和初期の商家が立ち並び、白壁、うだつ、半蔀(はじとみ)、出格子など伝統的な建築様式が残る町並みが続いていた。今日宿泊するホテルのチェックインまでに大分時間があったので,街並みの中にある良い雰囲気の喫茶店で一休みした。
歩き遍路35日目:三間町から卯之町まで25km, 31,700歩
7:30にホテルを出発した。曇り空で丁度良い気温であり快適に歩き始めたが,鳥坂峠に入る手前で,思いがけなく雨が降り出した。だんだん雨足が強くなり雨合羽を着る羽目となった。幸い鳥坂峠にさしかかるところで雨が止み,一転して晴れてきた。標高470mの鳥坂峠は高くて長い峠であり,汗をかきながらがんばって超えた。峠を下る途中に野生のワラビが生えていたのでワラビ狩りをし,それをお土産に持って帰った。下りで一台の車とすれ違い,わざわざ止まってくれてカロリーメイトのお接待を受けた。お遍路にとってお接待は断ってはいけないことになっている。
大洲市に入ったところで,歩き遍路をしているイタリア人の男性に,地図を見せられ宿泊場所を尋ねられたが,その場所は私たちにもわからなかった。大洲市を流れる肱川の橋を渡る際,右手に山頂がつつじで染まった冨士山,左手に大洲城の見事な景観に出会った。肱川橋から4kmほど行ったところに,十夜ヶ橋(とよがはし)があった。宿を断られた弘法大師がこの橋の下で野宿をしたといわれている。橋げたの下には大師像が横にされて布団が掛けられていた。遍路はこの橋の上では金剛杖を突かないことになっているが,今では遍路道にあるすべての橋の上で金剛杖を突いていない。
十夜ヶ橋から1kmほど歩いて大洲市新谷(にいや)まで来たところで,まだ15:30ではあるが今日の歩き遍路を終えた。タクシーを呼んで,本日宿泊する内子にあるオーベルジュまで送ってもらった。歩き遍路の最後の宿は少し贅沢をした。オーベルジュは内子町を見下ろせる小高い丘の上にあり,全部で5棟のヴィラしかなく,テレビや時計がなくてゆったりと過ごせた。夕食は和ろうそくの光の中で頂くフレンチで,大変美味しかった。
歩き遍路36日目:卯之町から大洲市新谷町まで25km, 40,700歩
8:00オーベルジュをタクシーで出発し,新谷郵便局前まで送ってもらった。近くに新谷小学校があり,ここは漫画家,松本零士が小学1年、2年を過ごした小学校で、玄関ホールに松本零士の「ふるさとからの旅立ち」という壁画が飾られているそうだ。町には銀河鉄道999通りなどがあった。8:30に歩きはじめ,10:00には内子町に着いた。JRの特急までに大分時間があったので,内子座に寄った。内子座は国の重要文化財に指定されている歌舞伎劇場であり,回り舞台,花道,枡席,奈落などを見学した。その後、JR内子駅11:40分発,特急宇和海12号で帰途に就いた。
歩き遍路37日目:大洲市新谷町から内子町まで8km, 12,000歩
2018年5月のひとりごと
私の研修医時代
当時は研修医という言い方はせずに、ジュニアレジデントと呼ばれていました。そして入局1年目は大学病院で研修を受けました。その頃の小児科学教室は、国内留学から帰ってきた専門グループのチーフを中心にどのグループも活発に研究・診療に取り組んでいました。私は後に小児循環器グループに属することになりましたが、その選択には受け持った子どもの臨床経験の影響が大きかったようです。
小児科医になって初めて受け持った子どもさんが、無脾症候群で複雑心奇形を伴ったHくんであり、乳児期に亡くなられました。病棟のベテランナースが「H君も先生もよう頑張った。よう頑張った。」と繰り返すものでしたから、少し涙が出てしまいました。もう一人の忘れられない子どもさんは、周産期から頻拍発作を繰り返し心臓腫瘍が疑われた、東京からの里帰り分娩で生まれた新生児でした。東京女子医大学心臓血圧研究所に転院することになり、無謀にも主治医である1年目の私が付き添うことになりました。へパリンロックで血管確保して飛行機に搭乗し、羽田空港では飛行機に救急車を横付けしていただき東京女子医大まで搬送しました。当時、日本の小児循環器では第一人者である高尾篤良教授が待ち構えて下さり、持参の心電図を大変緊張しながら説明しました。
2年目は全員が関連病院に出向き研修することになっていましたが、オーベンのいない一人医長の病院が含まれていたため、くじ引きで出向先を決めることになりました。いつも当たりくじを引く私は案の定、一人勤務である国立松山病院(現在の四国がんセンター)を引いてしまいました。未だ愛媛大学医学部付属病院も開院していなく、関連病院もない松山の地へ、涙を流しながら桜三里を超えて行ったことを記憶しています。堀之内という城壁の中の良い環境にある病院で1年間、がむしゃらに診療しましたが、一人で診療を完結することが経験できたことは役に立ったのではないかと思います。
3年目からはシニアレジデントと呼ばれ、再び大学病院で勤務することになりましたが、4年目になってまもなくの頃、急に高知赤十字病院の部長が開業することになりました。4年目になったシニアレジデントの私たちの誰かが出向くことになり、もちろんくじ引きとなり、もちろん私が当たりくじ引いてしまいました。今度は2年目の研修医と私の2人で泣きながら高知の地に出向きました。私はまだ4年目でしたが、当時の院長に副部長心得という精いっぱいの肩書を付けていただき、小児科の責任者として1年間がむしゃらに診療しました。高知は美味しい食べ物やお酒に恵まれていましたので、大変救われました。また四国八十八ヵ所を巡礼するきっかけもこの時、高知の地で出来ました。
小児科医になり早、42年が過ぎた現在では子どもの心臓だけではなく、子どもの心の診療の方にも力を注ぎ、汗と涙を流しています。
2018年4月のひとりごと
子どもの肥満について
子どもの肥満は昭和45年(1970年)頃から30年間で2~3倍に増加し、小中学生の10%以上が肥満傾向となりました。そして平成13年(2001年)頃からは横ばいから少し減少傾向になっています。徳島県の肥満傾向児の割合は東北・北海道とともに全国でも多く、西日本では最も多い県となっています。
肥満の概念は、エネルギー摂取量(食べたカロリー)のわりにエネルギー消費量(使ったカロリー)が少なくて、体内に過剰な脂肪組織の蓄積をみる状態であり、過体重ではありません。しかし子どもで体脂肪率を正確に測定することは難しいので、肥満の判定には肥満度を用います。肥満度は実測体重から標準体重を引いて標準体重で割ったパーセントで求め、20%以上30%未満が軽度肥満、30%以上50%未満が中等度肥満、50%以上が高度肥満に分類されます。高度肥満は子どもでも合併症が多いので医療機関での検査と治療が必要です。合併症のある肥満傾向の子どもは小児肥満症と呼び、病気(疾患)としてとらえられます。
肥満の合併症の一つに脂肪肝があります。脂肪肝は余分なエネルギーが中性脂肪となり肝臓に蓄積している状態で、肥満の二次検診を受診する子どもの半数以上に見られます。総コレステロールや中性脂肪の高値、HDL-コレステロールの低値などの高脂血症、高尿酸血症、高血圧、糖尿病などの合併症も見られます。睡眠時無呼吸症候群や皮膚の異常(黒色表皮症や皮膚線条など)も問題になります。
子どもの肥満の対策と治療の留意点としては、①予防と早期発見が大切であり、肥満しかけた時に対策を講じる。②学校保健でも肥満の健康に及ぼす影響について教える。③家族ぐるみで取り組むことを勧める。④子どもを非難せずにやる気にさせる。⑤食事・運動・生活習慣などにそれぞれ出来そうな目標を決める。⑥治療が成長・発達を妨げないこと。⑦指導・治療が新たなストレスとならないように注意する。⑧高度肥満は合併症も多く、病院での管理が必要。などが挙げられます。
徳島県では全国に先駆けて子どもの肥満対策に取り組んできました。その一つが2003年度から始まった県医師会と県教育委員会による「小児肥満の健康管理システム」です。これは県内全ての小中学校、高等学校、公立幼稚園が対象であり、学校や幼稚園の検診で、高度肥満と判定された子どもたちと軽度・中等度肥満でも保護者が希望される場合に、学校から医療機関での二次検診を受けることをお勧めするものです。毎年、二次検診を受ける子どもの約7割に脂肪肝や高脂血症などのなんらかの合併症が既に見られていますので、その対策と治療が急がれます。
2018年3月のひとりごと
2018年2月のひとりごと
日本赤十字社徳島県支部創立130周年記念赤十字大会
当施設は平成18年4月1日に徳島県から日本赤十字社徳島県支部が経営委譲を受け開設し、徳島県立ひのみね整肢医療センターから徳島赤十字ひのみね総合療育センターに改称しました。したがって日本赤十字社の施設になってから10年が経過したところですが、日本赤十字社徳島県支部は明治20年10月28日に全国で初めて設立された6支部の1つとして誕生し、130周年を迎えました。
記念事業の一環として昨年4月22日(土)~6月11日(日)に、今に生きる「人道博愛の心」-美術に見る日本赤十字社の歩み-と題して赤十字美術展が徳島県立近代美術館で開催されました。この美術展は、日本画壇の巨匠達から日本赤十字社に寄せられた素晴らしい名画、赤十字の人道活動を自身の筆で未来へ語り継ぎたいとの思いを込めて描いた秀作、赤十字活動の歴史的資料等を一堂に会した記念展でした。私も2回見学しましたが、大変感銘を受けました。特にチケットやパンフレットの表紙にもなった、東郷青児の「ナース像」(1974年、油彩、日本赤十字社蔵)には引き込まれるものがありました。
徳島県支部創立130周年記念赤十字大会は日本赤十字社名誉副総裁寛仁親王妃信子殿下ご臨席のもと開催されました。式典は日本赤十字社徳島県支部長の飯泉嘉門知事による式辞、有功賞授与、社長感謝状贈呈、支部長特別表彰贈呈と進み、寛仁親王妃信子殿下のおことばを戴きました。その後、日本赤十字社・大塚義治副社長の挨拶、木南征美徳島県議会議長の来賓祝辞と続きました。最後に体験発表として勝浦赤十字奉仕団が「奉仕団は地域の元気本舗?」と題して行われ、盛大な拍手が送られました。次に三代目桂春蝶による落語に伝えたい想い「約束の海~エルトゥールル号物語~」と題した記念講演がありました。
夕方に日本赤十字社名誉副総裁寛仁親王妃信子殿下御来県記念支部長招待晩餐会が開かれ、支部管下施設長らとともに私も出席いたしました。大変緊張しましたが、御料理は美味しく、後でお聞きしたお話では、信子殿下は阿波尾鳥のそば米汁が大変美味しかったと言われたということでした。
麻生太郎副総理の妹であられる信子殿下はとても気さくにお話ししていただきましたが、飯泉嘉門支部長と遠藤彰良副支部長のお二人とのお話がはずみ、私はあまりお話に参加できませんでした。一つだけ私からは、信子殿下が医療機関スタッフのメンタルヘルスについてご心配していただいていましたので、赤十字病院や当施設の臨床心理士による職員に対してのメンタルヘルス活動についてご説明させていただきました。
翌日信子殿下は、11月に竣工式を終えた徳島赤十字病院・西棟をご視察になり東京にお帰りになりました。
2018年1月のひとりごと
年頭のごあいさつ
職員の努力により経営状態も安定し、新しい年を迎えることができました。また、障がい者支援施設ひのみねの2階への移転工事も順調に進み、3月末には完成する予定であります。このことにより、利用児者様や職員の夜間における不安を一掃し、安全を確保することが出来ます。
私どもの医療や福祉の仕事は24時間、365日、途切れることのない連続したものでありますが、年の初めにあたり改めて、当施設の基本理念であります「利用される皆様と心を通わせ、質の高い医療・福祉サービスを提供し、豊かな生活に向けての支援を行います。」を確認し、皆で誓いたいと思います。
良い仕事をしていくためには、私たち自身が心も体もともに健康であることがきわめて大切であります。今年1年間、元気で健康に過ごせることを心から願いたいと思います。
それでは、新しい年が徳島赤十字ひのみね総合療育センターならびに徳島赤十字障がい者支援施設ひのみねにとりましてよい年でありますように、また、このブログを見ていただいている皆様にとりましても素晴しい年でありますよう心より祈念いたしまして、私からの年頭の挨拶とさせて頂きます。
2017年12月のひとりごと
健やか親子21
この大会には初めて参加しました。内容は初日が母子保健関係者研修会で、「子どものパーソナリティ発達と環境」のテーマで、今は愛育相談所所長をしておられる有名な小児精神科医師の齊藤万比古先生に講演をしていただきました。その後には、愛育班等組織支援担当者会議がもたれたようです。
翌日は1時間半に亘って式典が行われました。その内容は挨拶が厚生労働大臣、宮崎県知事、宮崎市長のそれぞれ代理の母子愛育会会長、日本家族計画協会会長,母子保健推進会議会長と延々と続きました。その後の表彰式も厚生労働大臣表彰、母子愛育会会長表彰、日本家族計画協会会長表彰、母子保健推進会議会長表彰、来賓祝辞、受賞者謝辞とさらに長々と続きました。
3日目はシンポジウム、テーマ「思春期からの生涯を通じた女性の健康支援~健やかな妊娠・出産のために~」や家族計画研修会ランチョンセミナー「居場所のない女の子たち~今、私たちがすべきことは何か~」がありましたが、これらをパスして近くの宮崎神社と宮崎県総合博物館を観に行きました。
宮崎神社は日本の初代天皇「神武天皇」を祀る神社であり、鳥居をくぐると、まっすぐな長い参道の奥に直線的なつくりの拝殿,社殿が一直線上に配置されている厳かであり美しい境内でした。折しも翌日から開かれる宮崎神宮御神幸祭(神武さま)の準備があちこちでなされていました。宮崎県総合博物館は入場料無料であり、46億年の地球の歴史と宮崎の自然の素晴らしさを知ることが出来ました。
最後に健やか親子21について少し説明します。「健やか親子21」は、21世紀の母子保健の主要な取組を提示するビジョンであり、関係者、関係機関・団体が一体となって、その達成に向けて取り組む国民運動計画として、「健康日本21」の一翼を担うものです。 平成27年4月から10年計画で開始する「健やか親子21(第2次)」では、「すべての子どもが健やかに育つ社会」の実現を目指しています。 国民運動計画としての取組の充実に向けて、国民の主体的取組の推進や、関係者、関係機関・団体や企業等との連携・協働、健康格差解消に向けた地方公共団体の取組の強化が期待されています。スタートして早2年半が過ぎましたが、国民運動としての盛り上がりはいま一つのようです。私達、母子保健に関わるすべての者はなお一層、取り組みの強化のために努力をしなければならないと思います。
2017年11月のひとりごと
学生ボランティア
大学入学当時はボランティアという言葉は全く知りませんでした。小学校の同級生で工学部に1年先に入学していた友達に強力に勧誘され、何もわからないままに入部しました。学生ボランティアの主な活動は、近くにある児童養護施設を訪問することでした。毎週金曜日の夕方に訪問し、子どもたちと遊んだり学習指導を行ったりしました。夏休みには、子どもたちを連れて北の脇海水浴場に一泊二日のキャンプに出掛けるのも恒例の行事でした。お正月には、施設で過ごさなければならない子どもたちを連れて外出をすることもありました。6年間も子どもたちと関わったので、彼らが18歳を過ぎて養護施設を出て行った後も、会ったり、年賀状をもらったりしました。彼らに子どもが出来て、その子が病気になった時に私の外来に連れて来てくれることもありました。
当時「ボランティア活動とは何か」について、よく考えたり議論したりしていました。「単なる奉仕活動に終わってはいけない」「相手のためだけではなく、自分自身の成長を目指すものでなければならない」「福祉体制の不備を補完するだけではいけない」「児童養護施設の持つ問題点を解決するために、ボランティアの立場で働き掛けていかなければならない」など、今から思えばずいぶんと頭でっかちであり、恥ずかしい思いですがその頃はわりあい真剣でした。
今日ではボランティアという言葉は全く普通に使われていますが、48年前は、学生ボランティアでサークル活動をしていると言うと「ボランティアって何」とよく聞かれました。あまりきちんと答えられずに「篤志家という意味で、自分自身の成長のために自主的に人のお役に立つことをする活動です。」などと説明していました。今、手元にある広辞林(第六版、三省堂)でボランティアを引くと、「篤志奉仕家。自分の意志によって自発的に身体障害者・老人・孤児の収容施設などで奉仕活動をする人」とありますが、ひどい説明であると思います。今度、第七版の改訂が出るようですが、新語を増やすのも良いけれど、一つ一つの言葉の意味をもっと正確に記載してほしいと思います。
あと、最近よく耳にする「有償ボランティア」という言葉には、大変違和感を覚えます。今、現在「ボランティア活動とは」についてもう一度考えてみたいと思います。
2017年10月のひとりごと
子どもとメディア
電子メディアの子どもへの悪影響は様々であり、多岐にわたっています。まず、長時間の視聴は運動不足を助長し肥満や体力不足を招きます。また睡眠時間を減少・不規則にし、睡眠の質を悪くします。スマホのブルーライトはメラトニン分泌を抑制し体内時計の乱れを引き起こすとも言われています。脳への影響としては、長時間使用により記憶や判断を司る部分の脳の発達に遅れが出ます。また考える時間が奪われることにより思考力全体が低下する懸念があります。さらに長時間視聴と学業成績低下の関連性のデーターも出されています。依存の問題は、ゲームなどの報酬系の依存に加えて、SNSへの繋がり依存があります。ネット上でのいじめは、悪質かつ深刻であり世界中で問題になっています。メディア付けの問題は、時間が奪われることと視聴内容から影響を受けることに集約されますが、特に子どもの場合は心身の成長や発達に大切な時間と体験が奪われてしまうという視点が重要です。
依存症を起こすタバコ・アルコール・ギャンブルなどでの子どもを守る規制はありますが、ネット依存に関しての予防・対策はほとんど皆無の状態にあります。タバコやアルコールやギャンブルは「断つ」ことが治療になりますが、ネットは断つことではなく「うまく使いこなす」ことが求められます。子どもの発達年齢の特性を考えながらマイナス面の影響を極力少なくして、未来を生きる子どもを育てることは私たち大人の大きな課題です。
2004年2月に日本小児科医会は「子どもとメディアの問題に関する提言」を発表しました。また同年4月には日本小児科学会も「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」という警鐘を鳴らしました。2011年にアメリカ小児科医会は、2歳以下の子どものメディア接触は教育的または発育的に有益であるエビデンスは認められないと発表しました。
我々、小児科医はそれぞれの地域での啓発活動を担っていかなければなりませんが、メディア依存の「先進国」韓国を見習って、国家レベルで予防・対策に取り組まなければならないと思います。
2017年9月のひとりごと
九州旅行
旅の一日目は熊本城見学の後、天草を訪れました。熊本を訪れるのは4回目でしたが、天草まで足を延ばしたのは今回が初めてでした。三角西港、天草五橋、天草四郎メモリアルホール、潜伏キリシタン関連遺産などを見た後、宿泊は天草下島にある下田温泉の離れ宿のVillaにしました。キリスト教が伝来した中世の天草がテーマの宿であり、エキゾチックな気分に浸りました。前日の雷の影響でテレビが映らなくなっており、テレビを見ない宿泊も良い経験になりました。
私は土曜の朝のテレビ番組「旅サラダ」が好きで、かなり以前から欠かさず見ています。そして、いつもゲストが旅をしたときに泊まる宿やホテルをメモしておいて、旅行や学会の時に泊まる場所の参考にしています。今回、一日目に泊まった宿は9月2日に放送される予定だそうで、二日目に泊まったのも黒川温泉(白川源泉)のある宿で、以前に番組で紹介された所でした。竹林に抱かれた広大な敷地内にわずか12室の露天風呂付客室が点在し、十分に自然と源泉かけ流し風呂を楽しめました。また宿に向かう途中、阿蘇外輪山の大観峰から見たカルデラと阿蘇五岳の壮大な姿には大変感動しました。
三日目は池山水源、久住花公園、九重夢大吊橋、由布岳、ステンドグラス美術館、高原美術館などを見てまわり、宿泊は湯布院御三家(三大旅館)の一つで、客室数が全17室のかけ流し木風呂が魅力の旅館にしました。ここには、ニコルズバーという温泉宿には珍しい洒落たバーがあり、久しぶりに美味しいスコッチを飲み堪能しました。小説家でナチュラリストでもあるC.W.ニコルが宿泊した時に「温泉宿にも気軽に飲めるバーがあってもよいのでは」との提案を受けて出来たそうです。
翌日は朝食前に近くの金鱗湖まで散歩し、朝食後は湯の坪街道などいくつかの通りを散策し、いろいろな買い物を沢山しました。今回、夏の旅行の天気は最初は曇りのことが多く、晴の日は阿蘇、由布院などの高原であったので、それほど暑くはなく快適に旅することが出来ました。
2017年8月のひとりごと
学校保健委員会
2017年7月のひとりごと
受動喫煙防止
そこで今回のブログではあらためて、受動喫煙の有害性について説明します。まず、受動喫煙で吸い込む点下部から出る副流煙は、喫煙時にフィルターを通過する主流煙より害が大きいという事です。主流煙を「1」とした場合、副流煙ではニコチン(血流を悪化)が2.8倍、タール(ヤニ・発がん物質)が3.4倍、一酸化炭素(酸素不足を招く)が4.7倍、アンモニア(目を刺激する)が46倍、ベンツピレン(発がん物質)が3.4倍、ニトロソアミン(発がん物質)が31倍も含まれています。
受動喫煙で報告されている「悪影響」と「病気」については、①すぐに表れる影響として、目がしみる等の目の痛み、喉の痛みや咳、心拍数の増加や冷え性などの血管収縮などがあります。②長期的な影響としては、肺がん、副鼻腔がん、子宮頸がん、呼吸機能の低下、脳卒中、心筋梗塞、動脈硬化、糖尿病などがあります。③妊婦や新生児に対する影響として、流産や早産、乳幼児突然死症候群、出生時の低体重児化などがあります。
子どもが受動喫煙にさらされると、乳幼児突然死症候群(SIDS)の原因となり、また喘息発作、急性気管支炎、肺炎、慢性副鼻腔炎、アデノイド増殖、中耳炎、扁桃肥大、髄膜炎、ペルテス病、歯肉着色、アトピー性皮膚炎等々の原因にもなります。
子どもたちの健康のためにも、ご自身の健康のためにも喫煙している方は是非、禁煙していただきたいと思います。「禁煙しよう」と決めたら、禁煙指導を受けられる病院(禁煙外来)を受診することをお勧めします。タバコに対する心理的依存(習慣)、イライラなどの離脱症状(禁断症状)を起こすニコチン依存は、医師やお薬の力を借りなければ、なかなか克服できるものではありません。病院(禁煙外来)では、医師が身体・精神的にサポートし、禁煙できるように導いてくれます。徳島県内の禁煙治療に保険が使える医療機関は2017年3月1日の時点で170施設あります。また日本禁煙学会の禁煙専門・認定指導者のいる医療機関も9施設あります。是非、利用してください。
2017年6月のひとりごと
伊予歩き遍路日記
しばらく歩くと松尾峠にさしかかった。伊予と土佐の境にある標高300mの峠であるが,途中から雨が降り始めた。天気予報が良かったため,雨具は一泊目のホテルまで宅配してしまったので,峠を雨に濡れながら苦労して超える羽目になり,いきなり厳しい修行をさせられた。松尾峠は,高知県側は昔ながらの遍路道で歩くのに苦労したが,愛媛県側はきれいに整備されており歩きやすかった。雨足が強くなってきたので,今日は愛南町一本松で歩くのを終了しタクシーを呼んだ。宿泊は愛南町御荘にあるホテル(2食付き9500円)にした。
31日目:宿毛駅から愛南町一本松まで10.5km, 22,000歩
平城天皇の勅願所として大同二年(807)弘法大師により開創された。本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来,十一面観世音菩薩は,弘法大師が一本の霊木から作ったと伝えられている。第1番札所の霊山寺から一番遠いところにあるので「四国霊場の裏関所」と呼ばれている。仁王門から本堂への途中には愛嬌のある姿をした3匹のかえるの石造「栄かえる」があった。
峠を下り終え,国道56号と交わるところの津島町畑地で今日の歩き遍路を終えた。タクシーで宿泊する津島町高田にあるビジネスホテルまで送ってもらった。夕食はホテルの隣にあるお寿司屋で頂いた。
32日目:愛南町城辺から津島町高田まで24km,45,000歩
国道56号の緩い坂を上っていくと松尾トンネルがあり,その入り口脇左方向に旧遍路道の入り口から,今回二度目となる「松尾峠」を越えた。県境の「松尾峠」が難所であったので,こちらは傾斜もそれほどきつくはなく,自然を楽しみながら歩いた。峠道を下っていくと工事現場のような採石場を通り,その横には似つかわしくない和風のデザインの大きなゴミ焼却場が建築中であった。
昼食は市内にあるカレー専門店に初めて入り,1日20食限定の「じゃこ勝つカレー(975円)を食べた。スパイスが効いていて美味しかった。宇和島市中心部まで来ると,大型連休のため観光客で混雑していた。14:00には宿泊するホテルに到着した。チェックインまで時間があり商店街アーケードを散策した。徳島のアーケードほどは寂れてはいなかった。
33日目:津島町高田からJR宇和島駅まで11km, 25,000歩
2017年5月のひとりごと
土佐歩き遍路日記
土佐くろしお鉄道中村駅に11:32に到着した。タクシーで前回歩き終えた、四万十C.C.入口まで乗せてもらった。降りるときに運転手さんから四万十川について説明していただき、蛇紋石の接待を受けた。サンドペーパーで磨けば艶が出て美しくなるそうだ。12:00から歩き始めたが、すぐに四万十川の川べりに腰を下ろして、おにぎりとたこ焼きの昼食を摂った。しばらく歩くと新伊豆田トンネル(全長1620m)という長いトンネルに出くわした。歩き遍路の辛いことの一つは、車の騒音と排気ガスに満ちたトンネルの中を歩くことである。そこから約8kmのところにある今日、宿泊する「民宿いさりび」(土佐清水市久百々)に15:45に到着した。民宿いさりびは海に面した景色の良い場所にあり、比較的、部屋も風呂もきれいであり、清水サバやカツオのたたきなど海の幸も美味しかった。
民宿いさりびを7:45に出発、玄関で女将さんから袋入りの飴の接待を受けた。第38番札所金剛福寺までの遍路道は東岸、西岸、県道348号の3ルートあるが、私たちは東岸経由を選んだ。途中の以布利港には大阪海遊館の海洋生物研究所、以布利センターがあり、ジンベイザメの特別公開をしていて、見学する幸運に恵まれた。途中の窪津漁港でちらし寿司とメロンパンを買って、近くの丘の上で海を見ながら昼食を摂った。足摺岬の金剛福寺に着いたのは、予定どおりの14:30であった。足摺岬はゴールデンウイークのため大勢の観光客でごった返していたが、寺の境内は比較的人は少なく静かだった。
金剛福寺は、若き日の弘法大師が修行したと伝えられる四国の最南端の足摺岬にある。ビロウや椿の林を通って境内に入ると、正面左手に大きな池と多くの岩があり、それを囲むように、本堂、大師堂、愛染堂、不動堂、弁天堂、多宝堂などが立ち並んでいた。納経所では母の分と私たちの分の2冊に納経していただいた。
足摺パシフィックホテルを8:15に出発し、西岸周りに歩いた。少し行ったところのだるま夕日が見られる時があるとの場所で海を眺めていると、地元のおじさんが来て、だるま夕日の説明をしてくれて、小さなドラゴンランプ(部屋の明かり)の接待を受けた。土佐清水市松尾には樹齢300年、天然記念物のアコウの木があり見学した。アコウは他の木の幹に着生し、気根が寄生の樹幹を覆っているものだそうだ。
約8km歩いて、今回の歩き遍路を終えた。松尾小学校前のバス停で高知西南交通バスに乗り、中村駅まで90分で到着した。昼食は物産館サンリバー四万十敷地内にある「いちもん家」でうな重をいただいた。物産館から窪川の小夏を宅配してもらい、お土産に芋けんぴも買った。そして土佐くろしお鉄道中村駅から帰途についた。
昨年のゴールデンウイーク以来、しばらくぶりに歩き遍路に出かけた。今日は土佐くろしお鉄道の中村駅までの移動であり、パークアンドライド(1日600円)を利用してホテルクレメント徳島に車を停め、JR徳島駅、阿波池田駅、高知駅、中村駅までJRを乗り継いだ。宿泊は中村駅から徒歩5分の「ホテルクラウンヒルズ中村」というビジネスホテルにした。3連休の初日であり、満室であった。夕食は前回利用したサンリバー四万十敷地内「いちもん家」で、はりこんで、四万十御膳(3240円)を頂いた。鮎の化粧焼き、鰻の蒲焼、川海老の唐揚げ、藁焼き鰹たたきなどどれも美味しかった。
7:30にタクシーで、新伊豆田トンネルを出たところにある真念庵まで送ってもらい、8:00に歩き始めた。第39番札所延光寺までは約21kmであり、主に三原村という所を歩いた。ほとんど車の通っていない遍路道であり、ゆっくりと歩いたが、5時間ぐらい歩くと私の足が少し痛くなり、妻より重さが倍以上のリュックを背負っていたので、妻の歩くスピードついていくのに難儀した。途中、三原村の宮ノ森あたりで、おにぎりとサンドイッチの昼食を摂った。足が悲鳴を上げながら延光寺にたどり着いたが、21km歩くのに6時間半を要した。延光寺の近くには、重症心身障害児(者)施設、幡多希望の家があり、利用者の方が車いすで散歩をされていた。
延光寺は、土佐路の西南端にある「修行の道場」最後の霊場である。神亀元年(724年)に行基が聖武天皇の勅命を受けて薬師如来像を刻んで本尊とし開基した。後に弘法大師が、日光・月光の両菩薩を刻んで脇侍として安置し、39番札所と定めた。山号は赤亀が梵鐘を背負って寺に現れたという伝説に由来する。本堂は広々とした境内の右奥手にあり、その隣にはひとまわり小さな大師堂がある。本堂の右手には庭園があり、その前に「目洗いの井戸」が残されている。
いよいよ、伊予路「菩薩の道場」に向かってスタートした。前日歩き終えた、聖ヶ丘病院前までタクシーに送ってもらい、8:50に歩き始めた。宿毛駅までの5.5kmをゆっくりと歩いた。そして宿毛駅付近で今回の歩き遍路を終了とした。宿毛駅前の食堂で昼食を頂き、12:50発の土佐くろしお鉄道宿毛線に乗り帰途についた。
2017年4月のひとりごと
不登校について
私が小児科医として不登校の子どもたちと関わりだしたのは、平成5年前後からですので約25年になります。1年間に病院外来を受診したり、スクールアドバイザーとして学校現場や総合教育センターで相談を受けた子どもは年間約80人おりましたので、実に2,000人ぐらいの不登校で困っている子どもたちに関わったことになります。
文部科学省による不登校の定義は「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくてもできない状況にあること(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)」であり、今回の教育機会確保法では「学校を相当の期間欠席しており、集団生活に関する心理的な負担などで就学が困難な状況」としています。私自身があえて定義するならば「学校に行きたくても、あるいは行かなければいけないと分かっていても、何らかの強い抵抗感・拒否感を感じ、登校することが出来なくなって困っている、あるいは苦しんでいる子どもたち」という表現になります。
私のところに来る不登校の子どもたちは、多くがそれまでに家族や学校と登校するしないで葛藤し、かなりの程度に疲弊しています。また、学校に行けなくなった自分自身に対して自己肯定感や自尊心が低下してしまっています。そこで私はまず、どの子に対しても「病院に来てくれたことをねぎらい」「小児科医は全面的に子どもの味方になる」ことを伝えます。そして、「これまであなたが学校に行かなかったことは、あなたにとっては大事な、必要な休養であった」と肯定的に捉えることを勧めます。次に「これから先に自分のしたいことが元気に出来るようになるために、体勢を立て直しエネルギーや力を蓄えていく」ことを目標に掲げます。
具体的な対応は、臨床心理士による心理面接及び心身症的な症状や二次的に陥っている気分障害・睡眠障害に対する薬物投与を行いますが、最も大切なことはその子の心理社会的要因を十分に理解するということです。不登校の子どもたちを見ていますと心理社会的な要因は一人ひとり様々であり、100人いれば100通りの処方箋が必要です。次に大切なことは家族への対応と学校との連携です。家族が子どもの状態を適切に理解し、味方になれている場合や学校関係者が子どもの心理社会的状況を理解していただいている場合は、比較的早くに子どもたちは前に向くことが出来ます。そうでない場合は、どんなに子どもに対してアプローチしてもうまくいかず、長引いてしまいます。
現在、不登校はどの子どもにも、どの家庭にも起こっているように見えますが、家庭と学校が子どもを信頼して、味方になって対応すれば、ほとんどのケースで乗り越えることが出来ているように思います。
2017年3月のひとりごと
性的マイノリティとは
本年1月14日に第15回徳島メンタルヘルス研究会が開催され、宝塚大学看護学部教授の日高庸晴先生に「児童・青年期における性的指向と性別違和について」と題して、講演をしていただきました。そこで今回のブログは、性的マイノリティについて述べます。
性的マイノリティ(性的少数者)とは、性的マジョリティ(自分の性別に違和感のない異性愛者)に対する言葉です。性的マイノリティの方は人口の約5~10%は存在すると言われており、マイノリティと言っても、想像するより多い数字と言えます。
性的マイノリティをLGBTと言いますが、L(レスビアン):女性の同性愛者、G(ゲイ):男性の同性愛者、B(バイセクシャル):両性愛者のLGBを性的指向と言い、T(トランスジェンダー):性同一性障害を性別違和と言います。性的指向は治療の対象になりませんが、性別違和は生まれた時の法的・社会的性別とは違う性別で生きる人、生きたい人であり、治療の対象として認められています。
性別違和の方々が望む性別への在り方も、さまざまであり人により違いがあります。法的に性別変更を望む人、性転換手術を希望する人、ホルモン療法だけで良い人、医療を選択しない人など多様です。また小児を見ていますと、性的指向や性別違和は年齢が進むにつれ変化することもあるようです。
性的マイノリティの方々は、そのことでからかわれたりイジメを受ける割合が高く、抑うつ傾向や自傷行為・自殺念慮の割合も高いことが多数報告されています。また、小児では不登校となる割合も高くなっているようです。
学校では、制服に象徴されるように男か女のどちらかに区別されることが多くあります。その度に性別違和を持つ子どもは苦痛を感じています。本当の自分のことを言えない、理解されないであろうとする心的葛藤に加えて、第二次性徴の時期に自分が望まない体に変化していくことに絶望すら感じています。性別違和を持つ女子(男子)生徒なら典型的な男性(女性)になることを望んでいるとは限らず、男性か女性のいずれかに自分を定義することが出来ずに、苦悩している子どもも存在しています。
文部科学省は平成22年4月に、人権教育についての事務連絡「児童生徒が抱える問題に対しての教育相談の徹底について」で、性同一性障害のある児童生徒に対して、個別の事例に応じたきめ細かな対応が必要であり、学校関係者においては、児童生徒の不安や悩みをしっかりと受け止め、児童生徒の立場から教育相談を行うことが求められると通知しました。さらに平成27年4月にも、文部科学省通知として「性同一性障害に係る児童生徒に対する学校の支援の事例」が出されました。
私たちは、学校や職場に性的マイノリティの方が存在しているかもしれないという意識をもって過ごすこと、発言することが大切であり、また何よりもLGBTについて深く、正しく理解することが必要だと思われます。
2017年2月のひとりごと
平成28年度日本赤十字社中国・四国各県支部合同災害訓練
昨年は4月14日に熊本地震が熊本・大分で起こり、10月21日には鳥取県中部地震が起こりました。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
徳島赤十字ひのみね総合療育センターでは、地震・火災などの災害時における各病棟・支援施設毎の避難訓練を月に1回のペースで行っており、またセンター全体の訓練も年に2回行い、備えを万全なものとする努力をしております。さらに今年は3月11日に、ひのみね総合療育センター及び障がい者支援施設ひのみねのすべての部署が合同で災害救護訓練を行う予定にしております。
昨年の11月12日と13日の二日間、平成28年度日本赤十字社中国・四国各県支部合同災害訓練が徳島赤十字病院と徳島市河内町の旭野運動公園で行われました。当センターからも多くの職員が参加しました。訓練想定は、平成28年11月12日、午前8時に四国沖を震源とするM8.6クラスの地震が発生し、徳島市では、震度6強を観測、繁華街と住宅密集地で家屋の倒壊が多数確認され、それらに巻き込まれ下敷きになった被災者が多数発生、また、主要幹線道路は各所で寸断し、電気・水道・ガスの供給が停止、電話もほとんど繋がらない状態となり、津波による浸水の影響も懸念されるというものでした。
大規模災害発生時に中四国各県支部の相互支援体制の確立と広域救護活動の円滑化、防災関係機関との連携強化を図ることを目的に合同訓練が実施されました。中四国各県支部の救護班やDMAT、徳島県消防防災航空隊、徳島県警察本部、徳島市消防局、徳島海上保安部、看護学校や大学の学生、学生ボランティア、各種赤十字奉仕団など総勢約600人が参加しました。仮想災害現場の旭野運動公園にはドクターカー、救急車、消防車のサイレンが鳴り響き、防災ヘリも着陸し、緊迫した空気に包まれました。私もすべてを視察させていただきましたが、連携のとれた充実した素晴らしい合同災害訓練であったと思いました。
2017年1月のひとりごと
新年あけましておめでとうございます
皆様、新年あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
私どもの医療・福祉の仕事は24時間、365日、途切れることのない連続したものでありますが、年の初めに当たり改めて、当センターの基本理念である「私たちは、利用される皆様と心を通わせ、質の高い医療・福祉サービスを提供し、豊かな生活に向けての支援を行います。」を確認したいと思います。そして今年1年、全ての職員が心も身体も健康であり、良い仕事ができることを祈念したいと思います。
社会保険診療報酬支払基金の審査
私は平成25年6月より徳島県社会保険診療報酬請求審査委員会の審査委員に就任しています。まず支払基金が何をしているかについて説明します。支払基金は、保健医療機関(薬局)からの診療に係る医療費の請求が正しいか審査したうえで、健康保険組合(保険者)などへ請求し、健康保険組合から支払われた医療費を保健医療機関へ支払する仕事をしています。
私ども審査委員は、保健医療機関の個々の診療行為が、保険診療ルール(診療担当規則、診療報酬点数表、関連通知)に適合しているかどうかを確認します。具体的には、記載事項の確認、診療行為の名称、点数、回数、医学的な適否などの確認、医薬品の名称、価格、適応、用法、用量、医学的な適否などの確認、医療材料の名称、価格、用法、使用料、医学的な適否などの確認を行います。県内の小児科医療機関の1か月に約2~3万件のレセプトを一人で4~5日間かけて審査しますが、全てのレセプトに目を通すわけではなく、高額点数レセプトや重点医療機関のレセプトを中心に審査し、一般診療所のレセプトは特定の診療所の他は事務職員のチェックで指示されたものだけを審査します。
また、電子レセプトにおいては、コンピューターが網羅的にチェックした項目を職員が的確に審査事務をおこなうことにより、審査委員が効率的に審査を行うことができるようになっています。
保険診療ルールは、さまざまな状況の患者に適切な医療を提供するという医療の性格上、「投薬は必要と認められる場合に行う」とか医薬品の用法・用量の規定では「年齢・症状により適宜増減」が認められるなど、診療する医師等に一定の裁量を認めるものになっています。個々の診療行為が保険診療ルールに適合しているか否かの審査は、機械的に判断できないものも多く、個々の症例において審査員の医学的判断が必要になり、非常に気を遣うしんどい仕事です。
多くの医療機関のレセプトを審査していると、治療や検査などその診療内容にそれぞれ特徴がみられ、医師の診療姿勢や性格まで垣間見ることができ、興味深いこともあります。社保支払基金の審査委員の定年は徳島赤十字ひのみね総合療育センターと同じく70歳ですので、私はまだしばらくの間はこの仕事を続けなくてはなりません。頑張ります。
2016年12月のひとりごと
重症心身障害とは
今年の職員採用試験の面接の際に「重症心身障害について説明してください」と質問すると、正確に答えられる人が少なかったことに驚かされました。重症心身障害とは「重度の知的障害と重度の肢体不自由が重複した状態」をいいます。これは、1967年(昭和42年)に児童福祉法一部改正により初めて定義され、今日まで続いているものです。重症心身障害児(者)は医学的にも社会的にも多くの問題を抱えており、医療と福祉の両面から強力な支援が必要です。なお重症心身障害児(者)を多くは、重症児(者)と略します。
1967年に重度知的障害と肢体不自由児の重複を重症心身障害と定義しましたが、現に入所している人、もしくは入所を予定している人は、従来の方針を維持することとされました。また、最重度の知的障害単独で「動く重症児」と通称された人たちの入所も継続されました。さらに、重症心身障害児(者)として処遇することが必要と考えられる場合や、その地域に対応する社会資源が乏しい場合などは、重症児施設に入所させることができるとしました。
2012年(平成24年)施行の障害者自立支援法のつなぎ法にて、重症心身障害施設は廃止され、満18歳未満は児童福祉法下の医療型障害児入所施設とし、満18歳以上は障害者自立支援法下の療養介護事業所となりました。また、特例的な取扱いにより児者一貫した処遇が継続されることになりました。さらに、重症心身障害児(者)通園事業が法制化されました。このときに、施設名称から重症心身障害の名は消えましたが、入所者の障害名としての重症心身障害は残りました。
医療型障害児入所施設及び療養介護事業所は医療が生活に必要な人たちが入所する施設であり、病院の形態をとっています。最近では医療ニーズの高い重症児(者)の利用が増えており、継続的な医療的ケアの程度を基準とした介護度の評価をまとめて、超重症児(者)、準超重症児(者)の判定基準が出されました。現在、ひのみね総合療育センターに入所している超重症児(者)は12名、準超重症児(者)は14名です。
最後に、私どもの(旧)重症心身障害児者施設は大きな問題に直面していることをブログします。それは、平成30年3月までとされている、重症心身障害児者施設における児者一体運用の特例措置が継続されるかどうかという問題です。日本重症心身障害福祉協会等の厚生労働省への働きかけがうまくいくことを祈らざるをえません。
2016年11月のひとりごと
阪田章聖先生との別れ
2016年10月のひとりごと
西日本肢体不自由児施設運営研究会
第61回西日本肢体不自由児施設運営研究会が9月8日と9日の二日間、沖縄県那覇市で開催されました。西日本から20施設が参加し、当センターからは私と看護部長とリハビリテーション課長が参加しました。私は前日に神戸空港からANA3725便で那覇空港に向かいました。台風13号の影響は那覇空港上空までは全くなく順調に飛行しましたが、那覇空港上空には積乱雲が発生しており、着陸の許可が下りるまで空中待機をするとのアナウンスが機長からありました。そして約25分間ものあいだ、雲の上をゆっくりゆっくりと飛行を続けました。飛行機の窓から見下ろすとあちこちで同じように航空機が空中待機しており、異様な光景にたいへん緊張しました。無事に空港に着陸できましたが、台風の影響か那覇市では滞在した3日間とも、毎日大雨警報が出されました。
今回の研究会は沖縄中部療育医療センターが担当され、パシフィックホテル沖縄で開催されましたが、行き届いた素晴らしい運営であったと思います。第一日目は、主催者・来賓挨拶の後、約3時間にわたり各部会が開かれました。私は運営部会の協議に参加しました。協議事項1「災害時における情報共有と医療・療育支援上の必需物資供給及び人的派遣等の協力に関するネットワークづくりについて」は旭川療育園が提出された災害支援ネットワーク原案が承認されました。協議事項4「肢体不自由児施設・重症心身障害児施設で心理指導を担当する職員の業務について」では当センターの臨床心理士の業務について情報提供しました。また運営研究会の中で心理指導を担当する職員が協議できる部会については、当面は指導部会で行うことになりました。協議事項8「医療型障害児入所支援における今後の入所利用の在り方について」は各施設とも療養介護の占める割合が増加しており、平成30以降も現特例措置が保証されるかどうかが懸念されるところでした。
懇親会は同ホテルの万座の間で開かれ、オリオンビールと泡盛の古酒を沢山いただき、沖縄料理を味わいながら他施設の方と交流しました。余興は担当施設の職員が沖縄伝統芸能エイサーを披露してくださり、大変盛り上がりました。
第二日目は講演1「脳の可塑性について」沖縄科学技術大学院大学の杉山陽子氏と講演2「人づくりの種をまく!~命が輝く感動舞台~」公益財団法人沖縄県文化振興会理事長の平田大一氏を聴講しました。平田大一さんは小浜島の生まれで、2000年からうるま市の子ども達による「現代版組踊 肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」を、05年「現代版組踊 大航海レキオス」、06年「第4回世界ウチナーンチュ大会開会式アトラクション」等の脚本・演出を手がけ、国内外の観客から好評を博した方です。今、沖縄で最も注目される、行動する詩人、若き演出家、地域活性化の旗手として絶大な支持を集めているそうです。講演では、うるま市の子ども達が「肝高の阿麻和利」という舞台経験を通して地域学びをし、自分たちの地域に誇りを持てるようになり、また子ども達を支えていた大人たちも変わり、そしてついには街全体も変わっていくという事を話されました。こんなにも感動し涙を流しながら聞いた講演は久しぶりでした。
2016年9月のひとりごと
東北旅行
徳島空港からJAL一便で羽田空港まで飛び、JR東京駅から東北新幹線はやぶさに乗り2時間53分でJR八戸駅に到着しました。星野リゾート青森屋の送迎バスに乗り、午後3時15分に青森屋にチェックインしました。翌日は送迎バスで星野リゾート奥入瀬渓流ホテルまで行き、今回の旅行の最大の目的である奥入瀬渓流の散策に出かけました。
奥入瀬渓流は十和田湖の子ノ口から焼山までの約14kmの流れで、豊かな樹木や十数ヵ所の滝と、千変万化の美しい流れや様々な奇岩・奇勝が見事な渓流美を作り出しており、四季折々の自然美を堪能できるということでした。私たちは三乱の流れから銚子大滝までを約3時間かけてゆっくり歩きましたが、あいにく渓流は数日前の雨の影響で茶色く濁っており、大変がっかりしました。しかし、森の香りと自然美を楽しみながらの散策は身も心も大いに癒されました。
翌日は台風10号の影響で天候が悪かったため、十和田湖、八甲田山の観光は取り止め、観光タクシーで青森市に向かいました。奥入瀬、十和田、八甲田では雨の天気でしたが、青森市に入ると一転して晴れ間が見られました。途中、日本最大規模のアーチ橋である城ヶ倉大橋を渡った時に、橋の下の城ヶ倉渓谷に虹がかかっており、上から眺めたその虹は
青森市内では、ねぶたの家ワ・ラッセで鳴り物を体験したり、棟方志功や寺山修司、奈良美智、成田享などの青森県出身の作家の作品が多数展示されている青森県立美術館を巡ったり、浅虫水族館を見学したりしながら、宿泊する浅虫温泉海扇閣に到着しました。陸奥湾に面した浅虫温泉はそれほどでもなかったのですが、夜の津軽三味線のライブには大変感動し満足しました。
最終日は昼過ぎに青森空港からJALで羽田空港まで飛ぶ予定でしたが、台風10号が東北地方を直撃しそうなので、急遽、宿の朝食をキャンセルして、新青森駅を午前6時17分に出発する新幹線はやぶさ4号で東京に向かうことにしました。これがまさに大正解であり、新幹線は始発ということでがらがらで、台風も上陸前で新幹線にはほとんど影響はありませんでした。羽田空港から徳島空港までは台風の影響は全くなく、予定どおり無事に帰徳することができました。
今回来た台風10号は観測史上初めて東北地方に上陸したものであり、岩手県の高齢者グループホームで9名もの利用者さんが犠牲になる痛ましい被災をはじめ、岩手県や北海道に甚大な被害を及ぼしたことに非常に衝撃を受けました。