2019年4月のひとりごと
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2018-09-01T00:00:00+09:00
伊予歩き遍路日記4
https://www.hinomine-mrc.jp/pages/56/detail=1/b_id=405/r_id=114#block405-114
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<div><strong><2019年3月21日(木)晴れ></strong>
<div> 春分の日から3泊4日で春の伊予路歩き遍路に出かけた。JR松山駅から松山市駅まで歩き,そこから伊予鉄バスに乗り,三坂峠を下った所にある丹波という所で下車しスタートした。最近は泊まる宿まで前もって宅急便で荷物を送ることにしているのでリュックの中身が軽くて,軽快に歩き出せた。気温は20度を超えており,少し汗ばむぐらいであったが気持ちよく2.7km歩いて浄瑠璃寺に着いた。</div>
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<div><strong>第46番札所浄瑠璃寺</strong></div>
<div> 寺の境内には天然記念物の伊吹柏槙(イブキビャクシン)の老木があり,本堂前には仏足石や仏手石,説法石などの利益石がある。大師堂にあるだっこ大師は抱っこが出来る大きさであり,お遍路は抱くことが出来る。境内に入る階段下には「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」という正岡子規の句碑がある。納経所で松山銘菓「母恵夢」のお接待を受けた。</div>
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<div><strong>第47番札所八坂寺</strong></div>
<div> 浄瑠璃寺からわずか1km弱歩いたところに八坂寺がある。八か所の坂道を切り開いて建てたことから八坂寺と名付けたと伝えられる。山門にはカラフルな天井絵があり迎えてくれる。本堂と大師堂の間に閻魔堂が建ち,裏手には「極楽の途」と「地獄の途」がある。それぞれ短いトンネル状になっており,おそるおそる通ってみた。</div>
<div> 八坂寺から徒歩15分の所に文殊院徳盛寺がある。ここは遍路の元祖とされる衛門三郎の菩提寺であり,その傍の田の中には彼の8人の子の墓といわれる八塚がある。そこから1.5km行ったところに,やはり衛門三郎の札始大師堂があり,今日のお遍路はここで終了としタクシーを呼んだ。泊りは八坂寺から近くにある砥部のオーベルジュで,通谷池の畔にある緑に囲まれた静かなところであり,旬の創作料理が大変美味しかった。</div>
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<div>41日目:松山市久谷町丹波から札始大師堂まで5.5km,1.2000歩</div>
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<div><strong><2019年3月22日(金)晴れ時々曇り></strong></div>
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<div> 砥部のオーベルジュからタクシーで衛門三郎の札始大師堂まで送ってもらいそこから歩き始めた。1.8km歩くと西林寺に到着した。</div>
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<div><strong>第48番札所西林寺</strong></div>
<div> 川の土手から低い位置に寺があることから,罪深い人が境内に入ると無間</div>
<div>地獄(むけんじごく)に落とされるとされ,伊予の関所寺とも呼ばれている。私たちは何とか無事通過することが出来た。仁王門から本堂までは敷石が続き,本堂の横には大師堂,その反対側には持仏堂,閻魔堂や茶室が並ぶ。閻魔堂の前にある孝行竹は家庭円満の御利益があるとされるが,今のところ私たちはお願いをしなかった。太鼓橋のたもとに正岡子規の「秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛」の句碑が立つ。</div>
<div> 西林寺から3.1km 先の鷹子町空也谷にある浄土寺に向かった。途中で祖母に連れられた5~6歳の兄弟に飴のお接待を受けた。遍路道沿いに住む子どもたちは,挨拶をしてくれる子が多くて,お接待をすることもしつけられているようだ。</div>
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<div><strong>第49番札所浄土寺</strong></div>
<div> 静寂な空気に包まれた境内の正面には堂々とした風格をたたえた本堂がある。仁王門にはお遍路さんが奉納した多くの草履が掛けられている。浄土寺は空也上人が滞在したといわれ,本堂には口から小さな仏像が六体出ている空也像(重文)があり,「南無阿弥陀仏」の6文字を意味している。</div>
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<div><strong>第50番札所繁多寺 </strong></div>
<div>繁多寺までの1.6kmは松山市郊外の住宅街裏道を30分かけて歩いた。繁多寺の境内は広く,背後の鬱蒼とした森を借景に本堂,鐘楼,大師堂,聖天堂などが建ち並ぶ。鐘つき堂に描かれている色鮮やかな天井絵には見とれてしまった。また山門からは松山城を中心とした松山市内が見渡せた。</div>
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<div><strong>第51番札所石手寺</strong></div>
<div> 石手寺までの2.5kmは車が多い道路もあり,40分かけてゆっくりと歩いた。地方の豪族河野家に男の子が生まれ,握った右手に持っていたのが「衛門三郎再来」の文字が書かれた石だったことが石手寺の由来と言われている。かなり広く大きな寺で,鎌倉時代に造られた大きな仁王門は国宝に指定されている。また本堂,三重塔,鐘楼,護摩堂,五輪塔,訶梨帝母堂(かりていもどう),銅鐘はいずれも国の重要文化財に指定されている。門前には正岡子規の名句「南無大師 石垣の寺よ稲の花 見あぐれば塔の高さよ 秋の空」がある。</div>
<div> 石手寺から900mの距離で,道後温泉の入り口にあるホテルに荷物を預け,太山寺に向かって2時間ほど歩いた。道後温泉街のど真ん中を通り,松山大学の広大なグランドの傍を進み,さらに国道196号線に沿って進み,松山北中学校の辺りまで歩いて本日は終了とした。今回は平地を歩くことがほとんどでありそれほど疲れてはいなかったが,道後温泉での入浴は有難かった。</div>
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<div>42日目:衛門三郎の札始大師堂から松山北中学校まで18.5km, 32,888歩</div>
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<hr /><strong><2019年3月23日(土)曇り時々晴れ></strong></div>
<div> 松山北中学校までタクシーで送ってもらい,そこから歩き始めた。30分程で太山寺の一ノ門に着いたが,そこから仁王門,山門,仁王門と上った瀧雲山の中腹に本堂がある。松山観光港とは背中合わせになっている</div>
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<div><strong>第52番札所太山寺</strong></div>
<div> 立派な本堂は鎌倉時代に建立され愛媛県下で最古の建築物であり,国宝に指定されている。山門の周辺には仏足石や百度石がある。仁王門に向かう石段の前に,石に一文字を書いてお供えする所があり,私は「無」,連れ合いは「幸」と書いて奉納した。</div>
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<div><strong>第53番札所円明寺</strong></div>
<div> 県道183号線を2.3km歩いて,県道沿いにある円明寺に到着した。市井の賑わいの中にあるお寺で,山門をくぐると適度な広さの境内に,楼門,大師堂,本堂,観音堂が整然と並んでいる。大正13年にアメリカのスタール博士が巡礼中,円明寺の本尊厨子にあった銅板納札を高く評価した。それ以来この寺の納札は有名になったそうだ。山門を入ってすぐ左手に,高さ40cmあまりの石に彫られたマリア像がある。この寺はキリスト教をも黙認していたのかもしれない</div>
<div> 円明寺からは本日,宿泊する浅海(あさなみ)にある宿まで16kmをひたすら歩いた。県道347号線に沿って,和気町(わけまち),堀江町を通り大谷という所まで来た。海沿いに海老餃子のテイクアウトがあり,それとコンビニで買ったおにぎりを瀬戸内の海を眺めながら食べた。</div>
<div> 旧北条市を過ぎ,標高80m程の峠を越え下って行ったところの浅海にある,瀬戸内海に沈む夕日が見える宿に午後4時にたどり着いた。ご夫婦で経営するカフェと1組限定の宿で,「人生の楽園」で放送されたそうだ。丁度夕食の時に海に沈む夕日を見ることが出来,良い思い出になった。</div>
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<div>43日目:松山北中学校から松山市浅海まで20.5km,38,800歩</div>
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<hr /><strong><2019年3月24日(日)晴れ時々曇り></strong></div>
<div> 朝8時に浅海の宿を出発した。宿泊費は歩き遍路という事で,一人1,000円まけていただき,ドリップバック入りコーヒーをお土産にとお接待も受けた。国道196号の海岸線を歩き,瓦の町菊間町を通過し,大西町で昼食のためうどん屋さんに入った。近くのJR大西駅まで歩き,そこで今回の歩き遍路を終了した。</div>
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<div>44日目:浅海の宿からJR大西駅まで15.5km,23,300歩</div>
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