<2019年4月27日(土)晴れ時々曇り>
平成最後となる4日間をかけて伊予路の歩き遍路に出かけた。今回はあろうことか携帯電話を家に忘れて出かけてしまった。やむを得ず、連れ合いの携帯電話番号をセンターに伝えて連絡してもらうことにした。最近忘れ物が多くなったのは歳のせいにしてよいのだろうか。いつものように午前7時JR徳島駅発の特急にJR今治駅まで乗り,そこから第54番札所延命寺までタクシーを利用した。
第54番札所延命寺
元は円明寺といい,53番札所と同じ名前だったので明治初期に延命寺に改名されたそうだ。山門は,元は今治城の城門だったらしい。本堂から大師堂へは石段を上っていく。現在の場所に移った時に植樹された名木「つぶらじい」は高さ20m余りに及ぶ。
55番札所南光坊までは3.5kmで,広大な大谷墓園の中を通り抜け,今治市街地を歩き1時間で到着した。
第55番札所南光坊
四国八十八ヵ所で「坊」の名を付しているのは南光坊だけである。再建されているため本堂などの新しい建物が並ぶ。瓦屋根の四隅が跳ね上がっているのが特徴だそうだ。高名な書家・川村驥山(きざん)との出会いを記念して建立された筆塚がある。
南光坊を出て、JR今治駅からまっすぐに一本道を歩いた。しばらく進むと今治西高等学校があり,大勢の野球部員が練習していた。グランドはスタンド付きの野球場そのもののようで,大変立派なものであった。3km歩き50分で56番札所泰山寺に着いた。
第56番札所泰山寺
石垣に包まれて高台にたたずむこの寺は,山門のない寺としても知られている。細長く伸びた境内に一列になって本堂,納経所,宿坊が並ぶ。宿坊の前にある大師堂のそばにあった弘法大師お手植えの不忘松(ふぼうまつ)は一度枯れてしまい切り株が残り,その横に子株として育っていた1株が植えられている。
泰山寺から57番札所栄福寺までも,3kmであり50分で歩いた。
第57番札所栄福寺
大師堂と本堂は回廊によってつながり,本堂へは石段を上る。本堂前の両脇に仏足石がある。境内の片隅に立つお願い地蔵尊はお願い事を叶えてくれるといわれている。この寺の住職さんはまだ歳がお若くて,「ボクは坊さん」や「空海さんに聞いてみよう」などの著書も多い。
次の58番札所仙遊寺までは高低差200m,2.5kmを1時間15分かけてゆっくりと上った。途中に犬塚池というのがあった。かつて57番と58番の住職さんは兼ねていたことがあって,寺間の連絡を犬が手伝ってくれていたそうだ。鐘がなる方に犬は走っていたようで,それがある時,同時に鳴ってしまい,困った犬が池に身を投げたという話だった。
第58番札所仙遊寺
「おされさん」の愛称で親しまれている寺。金剛力士像が迎えてくれる山門をくぐり石段を50mほど登った所に弘法大師の加持水(かじすい)といわれる井戸がある。境内の片隅には大師像がたたずみ,その周りには,八十八ヵ所霊場のご本尊の石仏が囲んでいる。宿坊は部屋,精進料理,温泉共に人気があるが私たちはここには泊まらなかった。
仙遊寺から2.8km下った所の今治市新谷で今日の歩き遍路は終了した。タクシーを呼んで20分間ほど走って,鈍川温泉(にぶがわおんせん)に宿泊した。温泉と料理は良かったが,建物,内装は古くなっており,すたれていかないことを願った。
45日目:延命寺から今治市新谷まで15km,26,500歩
<2019年4月28日(日)曇り時々晴れ>
明日の天気予報が雨となっていたため,札所参りの順番を入れ替え,今日、60番札所横峰寺に行くことにした。鈍川温泉からタクシーでJR今治駅まで行き,駅のパン屋さんで昼食のパンを買い,特急でJR壬生川駅まで行き,近くの宿泊するターミナルホテルに荷物を預け,タクシーで旧東予市石根まで行った。
そこから標高745mの横峰寺までの8kmを登った。最初は舗装された坂道を延々と歩いた。途中に前回の歩き遍路で立ち寄った山小屋風の喫茶店「てんとう虫」があったが,閉まっていた。閉店ではなく定休日であることを祈った。途中で外国の男性に追い越されたが,向こうから話しかけてこられた。初めて日本にこられたドイツの方で,通しで歩き遍路をされており、年配の私たちが歩き遍路をしていることを褒めていただいた。いろいろ会話をしたかったが,私たちの英語力はすっかりさび付いており残念だった。
舗装された道が終わり,休憩所から山道に入るところで,猿の群れに出くわした。何十匹もいたと思われたが襲ってくることもなく,私たちをじっと眺めていた。そこからは山道を苦労しながら登り,途中で昨日の夕食で出た鯛の釜めしの残りをお握りにしてもらっていたものを谷川の傍の石に座って頂いた。自然の中で食べる握り飯は本当に美味しかった。険しい登り道に苦労しながら,やっと横峰寺に到着した。
第60番札所横峰寺
西日本最高峰・石鎚山(1982m)の中腹にある霊場である。四国遍路の三番目の関所寺であり,悪心を持った人はここから先へは進めないと言う。私たちはここも何とかクリアーした。境内は石楠花(しゃくなげ)の名所としても知られ,沢山の石楠花に囲まれていたが,三分咲きという所で一週間早かったことが悔やまれた。
61番札所香園寺までは9.3kmの山道を下るが,これは登りにも増してきつく,私は両膝の外側が痛く,連れ合いはふくらはぎが痛くて,後ろ向きに歩こうかと思ったほどだった。
第61番札所香園寺
用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が創建したと伝えられている。近代的なコンクリートの建物が大聖堂で,ここが本堂と大師堂を兼ねている。この二階には700以上の席が設けられ、座ってお参りすることが可能。境内の一隅にある子安大師像は安産・子育てに関する信仰を集めている。
納経所で納経を済ませると,次の第62番札所宝寿寺は四国八十八ヵ所霊場会を脱退しており,普通のお寺になっているので,納経・礼拝は香園寺の第二駐車場でおこなっていると言われた。そこで納経・礼拝を済ませ,タクシーを呼んで壬生川のターミナルホテルまで送ってもらった。ホテルのレストランは高校生の団体が予約していたため,隣の中華料理店で夕食をとった。今回はこのホテルで2連泊する予定である。
46日目:旧東予市石根から香園寺まで17.3km,38,000歩
<2019年4月29日(昭和の日)曇りのち雨>
JR壬生川駅から鈍行列車でJR伊予富田駅まで戻り,そこから59番札所国分寺を目指して歩いた。まだ雨は降っておらず,2kmを歩いて国分寺に到着した。
第59番札所国分寺
石門を入って正面に本堂,大師堂,毘沙門天,書院などが並んでいる。境内に入り右手に大師像があり,右手で握手が出来るようになっている。握手をして祈願すると願いが叶うと言われており,思わず手を握り祈願した。何を願ったかは聞かないでください。その横にある薬師の壺は,祈りながら壺をなでると,どんな病気でも治ると言われているが,医療者としてはさすがに違うと思い撫でなかった。
国分寺を参拝して壬生川に向かい歩き始めた。途中に伊予桜井漆器会館があり,今回はランチョンマットの代わりとなる漆器の板を5枚買って宅配してもらった。前回の歩き遍路の時は,ビアカップとお皿を買ったと記憶している。その後,今治湯ノ浦温泉道の駅で昼食を摂った。しばらく歩いた所で雨が降りだした。雨の中を15kmほど辛抱して歩き,西条市丹波町まで来たところからターミナルホテルまで戻った。
47日目:JR伊予富田から西条市丹原まで17km,38,500歩
<2019年4月30日(国民の休日)小雨のち曇り>
朝,再び香園寺駐車場までタクシーで送ってもらった。そこから歩きはじめ,62番札所宝寿寺をパスして遍路マークに従って歩いたが,63番札所吉祥寺も過ぎてしまい,800m程後戻りして吉祥寺に到着した。
第63番札所吉祥寺
四国霊場の中で唯一,毘沙門天を本尊としている寺だそうだ。城門を思わせる山門を入ると正面が本堂,大師堂はその左側にある。境内にある穴の開いた奇妙な大石は成就石と呼ばれ,本堂前から目をつぶって願い事を唱えながら近づき,金剛杖の先が穴に通れば,心願が成就すると言われている。けれども私たちは試さなかった。
次の64番札所前神時までは,3.3kmであり霧雨の中を55分かけてゆっくりと歩いた。
第64番札所前神時
参道は杉木立が鬱蒼としているが,桜並木があり春の参詣は格別であろうと思った。参道のつきあたりが大師堂,その右奥に大きな本堂,蔵王大権現の社もある。本堂への参道の途中の石段の右にあるのが御瀧不動尊で,かつては滝打修行が行われていた。ここに一円玉を投げ入れて,くっつくとご利益があると言われている。
前神寺からJR石鎚山駅まで10分間歩き到着したが,伊予西条行の列車が1時間以上ないため,タクシーを呼んでJR伊予西条駅まで行き,そこからJR徳島駅まで戻ってきた。
48日目:香園寺駐車場からJR石鎚山駅まで7km,15,400歩